5月18日 タイに来たときのこと―東京一のパニック野郎の話―
震災の有った11日から、タイに来た19日。そしてそれからの4日間のことを書きます。
当日、・・・あんまり細かい事はイイか。
私は居間に居て、途中で外に出て、周りのビルが立てたこんにゃくみたいにグニャグニャ揺れるのを見てた。
居間の飾り棚は、多分これが無かったら倒れてた。
3月11日~15日、ほんとに全くと言って良いほど寝たり食べたり無理だった。
あんなに精神的に参ったのは初めて。
13日の日曜日とか、手が震えて化粧が出来なかったから、初めて旦那の前ですっぴんだったし一日中ガタガタ震えてた。
そして、3月15日に原発で爆発が有ったニュースを聞くと同時に私の精神崩壊が近くなったのを察してくれた旦那が許してくれたため、16日の始発で東京を離れた。
(その前もうひとつ衝撃とダメージを受けたのは買占めを目にしたときだった。あれはショックだったなあ)
ほんとに小さいトランクひとつに入るもの以外何にも持たなかった。別に必要とも思わなかった。でも何故か、自力では有線も無線も繋げないパソコンを持っていたのは、後々結構役に立った。
16-18日の三晩は、とりあえず名古屋で過ごした。その間も、一日ゆで卵1個とかおにぎり1個しか食べられなかった。
名古屋は至って平和で町も明るかったけど、全然気は晴れなかった。どうやら単純に被災地からの距離の問題ではなかったらしい。
とりあえず、そこで常備薬だった安定剤と皮膚科の薬を入手した。
病院は、名古屋の友達のサヲリちゃんがわざわざ電話をして紹介してくれて、皮膚科は東京から名古屋に転勤したシゲさんていう古い友人が教えてくれた。
名古屋に来た時点では、まーさーかー自分がそのままタイに行くとは思わなかったけど、もしもこれ以上原発事故の状況が切羽詰ったらどうするかを考えるために大体余暇はネットカフェに居て、色々な情報を頭に入れてた。
そう言えば、名古屋で17日、雪が降ったよな。
外国人がすごくびっくりしてたのが印象的だった。
このことのタイミングはよく覚えてないけど、17日の夜にまた「あーもうダメだ(状況のマズさ云々よりも精神的に耐え難い)」と思う事が有って、18日また朝一で動いた。
そうだ、あと何より、名古屋に居ると一日宿泊するだけでも5000円はかかるのが困り物だった。これは日本何処に行ってもそう変わらないだろうし、収束の目処が立たないなら、往復の交通費よりも生活コストが安いところがベストだろうと思って出国したんだった。
名古屋のHISに行って航空券を買おうと思ったら、その日の中部国際空港はタイ行きが無くて、仕方ないので新大阪から出国することに。
大阪から空港までの電車の中で、じゃぱさんにメールをした記憶がある。
19日の夜明けに、タイ到着。
朝焼けが綺麗で、このとき地震が起こってから一切撮りたいと思わなくなってた写真が撮れた。
心身ともにガッタガタだったので、とりあえず数日休みたくて、19-22日はしばらく何も考えないで過ごせるようにホテルを取っておいた。
寝られりゃ何処でも良かったから、適当に3000円台のホテル(今思えばタイじゃそこそこ高い)を押さえてきたのだけど、すごく落ち着くホテルだった。
このホテルに行った事はすごく運が良かったと思う。周りに何も無い居心地の良いところなので、ずっとホテルに居たけど、4泊の間にみるみる気力と体力が回復して行った。
来たときは、旦那のぼろぼろの長袖Tシャツにジーパンだった。多分このとき体重は50以上から45キロくらいまで落ちてたと思う。一日に何度も、ブラのホックが勝手に外れた。
コート類は空港から自宅に送ってた。コートやセーターを送ってしまうとトランクは本当にスカスカで、夏服も無くてこれからどうするのやらと思った。
でも次のホテルに移る頃には、緊張感は有ったけど結構ぎらぎらしていたような。
(最初は郊外のホテル、次のホテルは必需品を揃えてアパートを探すため、都心部に)
3000円台なのにスイート。行くまで部屋の様子全然知らなかったから間違いかと思った。
このホテルでは、料理は全然せず。
19日か20日、すごい月だった。
いつの間にかこんなに食べるようになってた。一日一食とはいえすごい量。
このホテルに居た間に、ネットカフェでカトウさんという日本人が話しかけてくれ、一緒にケータイを買いに行ってくれた。(この頃は、まだ日本語入力の仕方も解らなかった)
タイのケータイはプリペイド式で3800円くらいから。
3日以上居るなら海外ローミングを使うよりそっちを買ったほうが絶対安いと思う。
カトウさんにはその後も結構お世話になって、今日も久しぶりにメールのやり取りをした。
あー、書いてたらちょっと思い出して(なんか未だ何も終わって無い気がするけど)疲れた。写真は後ほど付けます。
今晩は、リュウという在タイ日本人と夕飯を食べに行くので明日になるかも。
+++
いやいや二人でこれは頼みすぎでしょ!
しかし結構残さず食べた。
帰り道がもう8時なのに渋滞で色んな車のテールランプが綺麗だったけど、いったいどうして自分らがここに居るのかと不思議な気分になった。
当日、・・・あんまり細かい事はイイか。
私は居間に居て、途中で外に出て、周りのビルが立てたこんにゃくみたいにグニャグニャ揺れるのを見てた。
居間の飾り棚は、多分これが無かったら倒れてた。
3月11日~15日、ほんとに全くと言って良いほど寝たり食べたり無理だった。
あんなに精神的に参ったのは初めて。
13日の日曜日とか、手が震えて化粧が出来なかったから、初めて旦那の前ですっぴんだったし一日中ガタガタ震えてた。
そして、3月15日に原発で爆発が有ったニュースを聞くと同時に私の精神崩壊が近くなったのを察してくれた旦那が許してくれたため、16日の始発で東京を離れた。
(その前もうひとつ衝撃とダメージを受けたのは買占めを目にしたときだった。あれはショックだったなあ)
ほんとに小さいトランクひとつに入るもの以外何にも持たなかった。別に必要とも思わなかった。でも何故か、自力では有線も無線も繋げないパソコンを持っていたのは、後々結構役に立った。
16-18日の三晩は、とりあえず名古屋で過ごした。その間も、一日ゆで卵1個とかおにぎり1個しか食べられなかった。
名古屋は至って平和で町も明るかったけど、全然気は晴れなかった。どうやら単純に被災地からの距離の問題ではなかったらしい。
とりあえず、そこで常備薬だった安定剤と皮膚科の薬を入手した。
病院は、名古屋の友達のサヲリちゃんがわざわざ電話をして紹介してくれて、皮膚科は東京から名古屋に転勤したシゲさんていう古い友人が教えてくれた。
名古屋に来た時点では、まーさーかー自分がそのままタイに行くとは思わなかったけど、もしもこれ以上原発事故の状況が切羽詰ったらどうするかを考えるために大体余暇はネットカフェに居て、色々な情報を頭に入れてた。
そう言えば、名古屋で17日、雪が降ったよな。
外国人がすごくびっくりしてたのが印象的だった。
このことのタイミングはよく覚えてないけど、17日の夜にまた「あーもうダメだ(状況のマズさ云々よりも精神的に耐え難い)」と思う事が有って、18日また朝一で動いた。
そうだ、あと何より、名古屋に居ると一日宿泊するだけでも5000円はかかるのが困り物だった。これは日本何処に行ってもそう変わらないだろうし、収束の目処が立たないなら、往復の交通費よりも生活コストが安いところがベストだろうと思って出国したんだった。
名古屋のHISに行って航空券を買おうと思ったら、その日の中部国際空港はタイ行きが無くて、仕方ないので新大阪から出国することに。
大阪から空港までの電車の中で、じゃぱさんにメールをした記憶がある。
19日の夜明けに、タイ到着。
朝焼けが綺麗で、このとき地震が起こってから一切撮りたいと思わなくなってた写真が撮れた。
心身ともにガッタガタだったので、とりあえず数日休みたくて、19-22日はしばらく何も考えないで過ごせるようにホテルを取っておいた。
寝られりゃ何処でも良かったから、適当に3000円台のホテル(今思えばタイじゃそこそこ高い)を押さえてきたのだけど、すごく落ち着くホテルだった。
このホテルに行った事はすごく運が良かったと思う。周りに何も無い居心地の良いところなので、ずっとホテルに居たけど、4泊の間にみるみる気力と体力が回復して行った。
来たときは、旦那のぼろぼろの長袖Tシャツにジーパンだった。多分このとき体重は50以上から45キロくらいまで落ちてたと思う。一日に何度も、ブラのホックが勝手に外れた。
コート類は空港から自宅に送ってた。コートやセーターを送ってしまうとトランクは本当にスカスカで、夏服も無くてこれからどうするのやらと思った。
でも次のホテルに移る頃には、緊張感は有ったけど結構ぎらぎらしていたような。
(最初は郊外のホテル、次のホテルは必需品を揃えてアパートを探すため、都心部に)
このホテルに居た間に、ネットカフェでカトウさんという日本人が話しかけてくれ、一緒にケータイを買いに行ってくれた。(この頃は、まだ日本語入力の仕方も解らなかった)
タイのケータイはプリペイド式で3800円くらいから。
3日以上居るなら海外ローミングを使うよりそっちを買ったほうが絶対安いと思う。
カトウさんにはその後も結構お世話になって、今日も久しぶりにメールのやり取りをした。
あー、書いてたらちょっと思い出して(なんか未だ何も終わって無い気がするけど)疲れた。写真は後ほど付けます。
今晩は、リュウという在タイ日本人と夕飯を食べに行くので明日になるかも。
+++
しかし結構残さず食べた。
帰り道がもう8時なのに渋滞で色んな車のテールランプが綺麗だったけど、いったいどうして自分らがここに居るのかと不思議な気分になった。
by gisouchir
| 2011-05-18 17:47
| バンコク滞在中日記